手っ取り早く、生きていることに喜びを感じる方法〜究極の時短テク〜

キックボクシングは生きていることに心底感謝できるスポーツ

早速結論ですが、、!

つい先日の話ですが、人間関係でささいなトラブルがあり、腹が立っていました。「何であの人はもっと私に思いやりを持った態度ができないんだ」と、もやもやしながらジムに行きました。

ジムに着いたら会長が「スパーリングの準備して」と一言。相手は絶賛活躍中の現役プロ選手でした。

もうボコボコにやられまして。3分間×2ラウンドの間、恐怖心と対抗心で頭がいっぱいになっていました。

きつい練習が終わった後は「ああ、大きな怪我も無く生きている、嬉しい。」と心底感じました。

そこから帰宅後も、何とも言えぬ達成感、高揚感と安堵感、腹が立っていたことなんてしばらく忘れていました。

なぜそうなったのか、簡単に述べていきたいと思います。

幸福を見出しにくいこの世の中

仏教用語には渇愛(かつあい)という言葉があり、対象のものに執着することを表しております。

人からすごいと思われたい、社会的な地位が欲しい、人生とは常に「したい」「欲しい」という執着の連続だそうです。

私もランボルギーニに乗って周りからすごいと思われたいです。

昔は情報源はTVとラジオと紙媒体のみでした。もっと前は人との会話や自分の目で生で見たものだけ。

だけど今は、スマホを開けばキラキラしている人たちや生活が無制限に流れてきて、無意識に自分と比較し、心にストレスがかかります。

幸福への難易度が高まり、なかなか生きているだけでは幸せに感じることが難しくなってきてしまいました。

マズローの欲求5段階説

保険の授業か何かで以下の図を見たことがありますでしょうか。人間の欲求を5段階に表したもので、1つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動を示す図です。

マズローの5大欲求説
マズローの欲求5段階説

簡単に書くと・・
①生理的欲求は、生命維持のために必要な、食べるとか呼吸する、排便すると言った最低限の欲求
②安全欲求は、安全に生活するための欲求
③社会的欲求は友人や社会から受け入れられたいとする欲求
④承認欲求は他者から尊敬されたいとする欲求
⑤自己実現欲求は自分の人生観に基づいて理想とする自分になりたいとする欲求です。

過度な承認欲求の危険

もし私がSNSに、盛りつけ加工した自撮りを投稿し、「いいね👍」がついたときに満たされる欲求、これが承認欲求です。

そのあとに再度、もっと盛った自撮りを投稿したとして、誰からもいいねがつかなったとしたら、孤独感を覚え、たくさんいいねが付いている人への嫉妬心が芽生えます。

承認欲求とは他者との比較を生み出しやすいリスクを含んでおり、渇愛の原因となりやすい欲求と言えます。

縄文人の欲求

縄文時代の人たちは、生理的欲求、つまり毎日生きることの欲求を満たすためのハードルが現代以上に高いはずでした。

軽い怪我や風邪すらも命がけ、狩や出産のリスクも高く、平均寿命30年(諸説あり)ということから、老いることは死と直結しておりました。

生きていることが当たり前ではない毎日の中で、生への感謝、周りの自然に感謝しながら生活していたことでしょう(多分きっとそう)。

欲求の段階を最下層まで下げる

ポイントは一つだけ、「死」や「恐怖」をほんのり連想する経験を踏み、生きているだけですごいことなんだと実感すること。

つまり、欲求の段階を最下層の生理的欲求まで下げること

キックボクシングのミット打ちやサンドバッグでも真剣に全力で行うことで同じ体験が得られます。

ネガティブなことを考える暇が無く、難易度が上がってくるとトレーナーの攻撃をガードする必要もあり、目の前のことに集中せざるを得なくなります。

重ねて、キック特有の高いバランス感覚は、脳みその平衡感覚機能をフルに活用し、自分自身に意識を向けることが出来ます。

またパンチキックといった人間に本来備わっているが封印されている本能的能力を解放することで、没入感をすぐに得ることが出来ます。

これらの理由から、トレーニングをハードにこなした後は、きっと他者との比較なんて小さく感じられ、ただただ呼吸している自分に満足出来るようになります。やりきった自分に自信がみなぎっているはずです。

まとめ

キックボクシングが何でいいかの理由がかなりあっさりしていますが、以下の記事もご参照くださいませ。

トレーニング前に色々モヤモヤを話していただいた生徒さんが、全力トレーニング後、すっきりした表情でお帰りになられることが多いです。

確かに悩みの原因が消えるということではありません。その悩みとされる事象の捉え方を少し変えることが出来たら、心が楽になるかもしれません。

一緒に幸せのハードルを下げていけたら、嬉しいです。

それでは、お休みなさいませ。